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終戦間際、多くの仲間たちを見送った
戦争の記憶を今に伝える戦跡

 第二次世界大戦末期、日本各地に防衛のための基地や飛行場など、様々な軍事施設が築かれていきました。本土最南端の防衛拠点として、重要な位置づけとされた大隅半島も、迫りくる本土決戦に向け、おびただしい数の軍事施設が築かれ、半島自体が要塞と化していきました。

 本土防衛の中心であった鹿屋基地には、戦局が悪化する中、陸海軍の航空部隊を統合する第五航空艦隊司令部が設置されました。そして、ここから908名の特攻隊員が出撃し、その尊い命を失いました。

 また、串良の海軍航空基地でも教育航空隊として、約5,000名の予備練習生たちが猛特訓を受けていましたが、昭和20(1945)年3月からは特別航空隊の基地となり、363名が飛び立ちました。

 多くの仲間たちの最後を見届ける電信を受け取る施設として用いられたこの場所は、現在を生きる私たちに戦争の記憶を伝えています。

<p>海軍航空隊串良基地跡
<span style="font-size:1.2rem;line-height:1.4rem;">地下壕第一電信室 (鹿屋市)</span></p>串良基地の関連部隊との連絡が行われていた地下壕で、特攻隊員が突撃前に送る最後の電信(モールス信号)を受け取っていた場所。むき出しのコンクリートが生々しく当時の記憶を留めている。
<p>海軍航空隊串良基地跡
<span style="font-size:1.2rem;line-height:1.4rem;">地下壕第一電信室 (鹿屋市)</span></p>串良基地の関連部隊との連絡が行われていた地下壕で、特攻隊員が突撃前に送る最後の電信(モールス信号)を受け取っていた場所。むき出しのコンクリートが生々しく当時の記憶を留めている。

海軍航空隊串良基地跡
地下壕第一電信室 (鹿屋市)

串良基地の関連部隊との連絡が行われていた地下壕で、特攻隊員が突撃前に送る最後の電信(モールス信号)を受け取っていた場所。むき出しのコンクリートが生々しく当時の記憶を留めている。

海軍航空隊笠野原基地跡川東掩体壕 (鹿屋市)

掩体壕とは、戦時中に航空機や物資などを敵の攻撃や爆風から守るために作られた施設。川東掩体壕は、笠野原基地で使用されたもので唯一現存する貴重な遺跡となっている。
掩体壕とは、戦時中に航空機や物資などを敵の攻撃や爆風から守るために作られた施設。川東掩体壕は、笠野原基地で使用されたもので唯一現存する貴重な遺跡となっている。
掩体壕とは、戦時中に航空機や物資などを敵の攻撃や爆風から守るために作られた施設。川東掩体壕は、笠野原基地で使用されたもので唯一現存する貴重な遺跡となっている。

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