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2017.12.28【お知らせ】おおすみ学校通信 Vol.01

おおすみ学校Vol.01タイトル



おおすみ学校1


平成29年7月25日、串良ふれあいセンターで開催された第1回

講演会では、NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会

代表理事 東川 隆太郎 氏を講師にお招きし、

「大隅半島の魅力を活かそう」をテーマにご講演頂きました。

当日は、大隅半島に居住されている方を中心に62名の方が

参加され、東川先生のお話に耳を傾けました。

大隅と西郷隆盛の関わりなどについてお話していただいた

講演内容をこちらで少しご紹介します。


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■ちょっ、しもた。わがこと止む。



 

西郷隆盛が狩猟を楽しむために滞在していた小根占(現南大隅町)で、

西南戦争の発端となる私学校生による爆薬庫襲撃の一報を受け、

発したとされるこの言葉。「わがこと止む」とは、”自分がやりたかったことは、

ここで終わりにしなければならない”という意味。

この言葉には、西郷隆盛の気持ちが込められているのではないでしょうか。

この言葉を発したとされる宿は今もそのまま残されており、南大隅町

根占のまちなみからは、どことなく当時の風情を感じることができます。

平成30年の大河ドラマは「西郷どん」。実は、大隅半島にも西郷隆盛

ゆかりの地や、明治維新当時の史跡や史料が現存しています。

西郷隆盛の敬愛した島津斉彬は花瀬(錦江町)、佐多岬(南大隅町)、

内之浦(肝付町)にも訪れており、垂水市には島津斉彬が宿泊した

「お長屋」の一部が残されています。



■ラストサムライは大隅にいた!?


西南戦争時、最後まで弓と刀で戦った武将・桂久武をご存じですか?

桂久武の私領地だった大隅町月野(曽於市)には、桂久武が

知事を務めていた都城県知事公舎が移築されています。

西郷隆盛と桂久武が交わした書簡の内容から、東川先生は

桂久武こそが西郷隆盛の親友であったのではと推察されています。

桂久武が従軍するつもりがなかった西南戦争に、西郷隆盛の出陣を

見送りに行った際に翻意し、そのまま従軍したのは親友である

西郷隆盛に対する想いの表れだったのではないでしょうか。



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■薩摩藩の財政を支えた大隅の豪商たち


肝付川下流の豪商として知られる波見の重家と柏原の田辺家。

重家の墓石を削って財布に入れると財が得られるという逸話があるほど。

その証拠に重家当主の墓石はどれも天辺が削られています。

戊辰戦争に際し、薩摩藩は田辺家から多額の寄与を得て、

英国式の銃を購入しました。財政面から明治維新を支えた

豪商たちが大隅半島にいました。



■志布志「大慈寺」の貢献


大慈寺の柏州和尚が西郷隆盛や大久保利通へ示現流を

伝授したと言われていますが、柏州和尚は島津斉彬没後、

中央との繋がりが薄かった島津久光が幕政改革を行うための

足掛かりとして朝廷との繋がりを作るべく、大慈寺とゆかりある

京都の妙心寺に出向き、島津久光上洛を働きかけたと言われています。

明治維新は大慈寺から始まったと言っても過言ではない。

大慈寺には柏州和尚の墓が今も残されています。



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