流鏑馬は鎌倉時代に始まり、国家安泰、五穀豊饒、悪疫退散を祈願する年占いです。
日本における流鏑馬の起源は、白河天皇の御代、永長元年(1096年)に始めたと記録にあり、鎌倉初期の保元平治物語の中にも流鏑馬のことが出ています。
四十九所神社を創建した伴兼行の孫、伴兼貞が長元9年(1036年)に肝付郡の弁済使になっていますが、高山で流鏑馬が始まったのはそれから100年位後になるようで、900年近い歴史があるとされています。
流鏑馬の期日は、昔は10月19日の四十九所神社大祭日でしたが、現在は10月第3日曜日に行われています。
全国的に成人の射手が多い流鏑馬ですが、肝付町で行われる流鏑馬の射手は中学生が務め、毎年変わります。
8月の中旬に、中学2年生の生徒1名が射手として決定し、その後馬に乗るところから始まり、約1ヵ月の練習を経て本番を迎えます。
狩衣装束にあやい笠を身にまとい、弓受けの儀により神の使いとなった射手は神馬とともに馬場を疾走します。
約330メートルの馬場を3回駆け抜けながら、合計9本の矢を放ちます。
引手のかけ声と共に駆け出し、矢が的に命中した音と馬の疾走する足音が共鳴した瞬間、神社の杜に大きな歓声が響きます
会場:(イベント)高山橋河川敷広場 (流鏑馬)四十九所神社前(宮之馬場) 〒893-1207 鹿児島県肝属郡肝付町新富5580
TEL
https://kankou-kimotsuki.net/archives/introduce/koyama-yabusame