南大隅町ねじめドラゴンボートフェスティバル

「子供たちは、自分たちの力だけでは企画を立てれないじゃないですか。だからこそ、『祭』の場を用意するのが大人の仕事だと思うんです。」そう語るのは、松元勇治(まつもと・ゆうじ)さん。南大隅町の根占(ねじめ)地域で約40年間続く、「南大隅町ねじめドラゴンボートフェスティバル」の立役者です。

 

 

「南大隅町ねじめドラゴンボートフェスティバル」は、毎年10月に行われる町を挙げた一大イベントです。南大隅を代表する観光地である「雄川の滝」の下流域にある河口で、龍を模した10人乗りボートが380mを駆けるレース競技。鹿児島だけでなく海外からも参加チームが集まる本格的なイベントで、前夜祭やステージイベントも企画される一大行事となっています。

 

 

南大隅では1985年から本格的に行われ、町内の多くの自治会も参加する伝統ある競技です。しかし、そんな「伝統」を築き上げるためには、松元さんたち商工会青年部の熱い思いと運営の努力がありました。

 

 


そもそも「ドラゴンボートレース」とは?


 

「ドラゴンボートレース」という競技は、中国・東南アジアを中心に、世界規模で開催されています。その始まりは、中国の春秋戦国時代。

 

「現在の広東省にあたる『楚』の政治家で有名な詩人でもあった屈原(くつげん)という人が、国内の政治的問題に絶望し、汨羅(べきら)という川の淵で入水自殺をしてしまうという事件がありました。屈原は民衆から大層愛されており、地元の漁民たちは彼の無事を祈りながら船を出し、一晩中捜索を続けました。肉団子を川に撒いて、ドラを鳴らしながら船を漕ぎ、魚や龍に屈原が襲われないように努めたといいます」と松元さん。

 

こうした逸話から、彼の命日である55日(端午の節句)に行われるようになったのが、ドラゴンボートレースの始まりでした。屈原の霊を祀るために各地で小舟のレース大会が開かれるようになり、広東省の香港を中心にマレーシアやシンガポールなど各地に広まっていきました。

 

 

そんな本場の大会を、鹿児島で先駆けて体感した一人が松元さんでした。「鹿屋市へマレーシア出身のラグビーチームが交流に来ていたのですが、僕たちも誘われてマレーシアのペナン島に大会を観戦しに行くことになったんです。当時の僕は20代で、元気とやる気に満ち溢れていました。こういう大会を、僕たちの地元である根占でもできないかと思ったんです」と松元さんは懐かしそうに語ります。

 

 


「地元の名前を売り込みたい」という思い


 

南大隅町は、本土最南端の佐多岬を擁する佐多町と、その北部の根占町が2005年に合併したことで成立しました。しかし、当時の根占町にはこれといって目立った特産品や観光地がなく、商工会の青年部長をしていた松元さんもPRに四苦八苦していました。

 

 

「町外での物産展があっても根占町のことを知らない人が多く、『佐多岬のある佐多町の隣町』とか、『フェリーの泊まる港があるところ』とか、そういった紹介しかできませんでした…。でも、だからこそ『地元の名前を売り込みたい』という気持ちは人一倍強かったんです。来てみたら絶対に楽しい町なんですから」と松元さんは力強く話します。

 

 

 

 

1983年にマレーシアの大会を訪れてからは、ドラゴンボートを町おこしに活用しようという取り組みが始まりました。「根占町カヌー協会」という組織を立ち上げ、町内だけでなく大隅半島全体でボートレースのテストプレイを重ねていきます。来るべき大会に向けて、地元の仲間と話し合いながら日々企画を練り上げていきました。

 

 


大会の開始と規模拡大


 

そしてついに、1985年に第一回大会が開催されます。当初は「根占競り船大会」という名称で、ボートも現在の10人乗りではなく7人乗りのものを使用。町内の若手を中心に、24チームが集まりました。「当時の僕は25歳ぐらいで、元気が有り余っていましたね。行政のノリも良くて、話したことがどんどん実現していきました。今となってはいい思い出ですね」と笑顔で話します。

 

 

第一回大会は地元で好評を呼び、参加人数や規模も拡大していきました。町内の自治会や企業もこぞって参加するようになり、新たな楽しみが生まれたことで町全体が活気付きました。

 

「町内のある縫製会社さんは、17:00に仕事を切り上げて17:30からは職場のメンバーで練習に励んでいましたね。ドラゴンボートのおかげで仕事にメリハリができたと喜んでくれました」と松元さんは懐かしそうに話します。町内の各自治会の公民館には、今でも必ずと言っていいほどドラゴンボートの賞状や写真が飾ってあります。誰もが楽しめる「ハレの日」のイベントとして、ドラゴンボートレースは定着していったのです。

 

 

1988年の第4回大会からは、10人乗りボートによる「ねじめドラゴンボートフェスティバル」として正式に運営されるようになりました。これまでは鹿屋市から借りた7人乗りのボートを使用していましたが、この回からは根占オリジナルの10人乗りボートを制作。この時のドラゴンのデザインも、松元さん自身で行いました。

 

行政・商工会・カヌー協会による運営委員会も組織され、町をあげた一大行事として定着。第5回大会からはKTS鹿児島テレビもスポンサーとなり、県内でのCMが放映されるようになると、参加人数はさらに拡大します。募集締め切りをはるかに上回る応募があり、開始当初24チームだった大会は、県外・海外からも含めて120チームが競い合う大規模大会になっていきました。

 

 


ドラゴンで広がる交流の輪


 

こうして人気を博して行ったドラゴンボートレースですが、見逃せない重要なポイントとして「国際交流」があります。ドラゴンボートレースが始まってから、松元さんをはじめとする商工会青年部のメンバーは、マレーシアや香港の大会へも何度も足を運日ました。

 

1980年代後半から90年代にかけて、ドラゴンボートの輪は世界規模で広がっていきました。僕たちが大会を始めてからは、オーストラリアやイタリアなどの欧州でも新たに大会が始まっていたほどです。こうした大会に参加したメンバーが、自国の大会にも選手を招待し合う流れが生まれ、根占にも海外から多くの選手が訪れるようになりました。」

 

 

根占は国内で初めて「ドラゴン」を冠したボートレースを始めた地域だったこともあり、招待枠で大会に無料参加できることもありました。こうした機会を利用して地元の高校生にも参加を呼びかけ、海外との交流活動も盛んになりました。「今でも、当時高校生だったメンバーが大会に合わせて帰省してくれることもあります。『ドラゴンのまち』として地域に愛されるイベントを作れたことを実感できて、嬉しいかぎりですね」と感慨深そうに語ります。

 

 

人口減少・高齢化が進み大会規模は当時より縮小したものの、ドラゴンボートレースは今でも地元に愛されるイベントの一つです。中高生のクラスマッチや、春の自治会対抗戦などでも町民はボートに乗って汗を流しています。

 

 

10人でボートに乗って、一直線にゴールを目指す。誰でも参加できるシンプルな競技だからこそ、地域の一体感が生まれる。南大隅で40年に渡って積み重ねられてきた「新たな伝統」を、ぜひ観戦しにきてください。

 

南大隅町ねじめドラゴンボートフェスティバル

https://minamiosumi-dbf.jp/

アクセス
雄川河口(なんたん市場・みなと公園周辺)

・フェリーなんきゅう(山川・根占フェリー)根占港営業所から車で2分
・鴨池・垂水フェリー 垂水営業所から車で約50分
・大隈縦貫道 笠之原ICから車で45分
期間
毎年10月中旬〜下旬(雄川の潮の干満により変動)
TEL
大会事務局:0994-24-2320
問い合わせ先
【大会事務局】
〒893-2501 鹿児島県肝属軍南大隅町根占川北220
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この記事を書いたライター

大杉祐輔

大杉祐輔

東京農大を卒業後、2018年から南大隅在住。フリーペーパー「かぜつち」編集長。趣味は猫と遊ぶことです!

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