芙蓉之塔が建つこの地は、かつて岩川飛行場の発着所であった場所。この飛行場は太平洋戦争末期の昭和19年に造られた芝張りの滑走路で当初は3本の滑走路を造る計画であったが、出来たのは1本だけでした。
昭和20年5月から美濃部正少佐率いる芙蓉部隊(夜間銃爆撃の部隊)により使用され始め、沖縄方面に出撃しました。
岩川飛行場は、基地であることを悟られないため、昼間は滑走路に刈草を敷き、牛を放牧、移動式家屋や樹木を立てたことで、終戦まで米軍に発見されることはありませんでした。
戦後、芙蓉部隊の元隊員や遺族、関係者らによる慰霊祭(昭和45年)を契機に、滑走路の発着地点(市埋蔵文化センター隣)に慰霊塔「芙蓉之塔」を建立し、藤枝基地以来の戦没者105名の御霊を祀っています。
現在は平和のシンボルとして、戦争の悲惨さや平和の尊さを現在に伝えています。
曽於市大隅町月野1946